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東京高等裁判所 昭和52年(う)2355号 判決 1979年2月27日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差戻す。

理由

本件控訴の各趣意は、検察官大堀誠一作成の控訴趣意書及び弁護人市来八郎、同斎藤誠二、同清見榮連名提出の控訴趣意書、同補充書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これらに対し、次のように判断する。

二、検察官の控訴趣意第二及び弁護人の控訴趣意一について。

本件重過失失火罪、重過失致死傷罪の起訴に対し、原審東京地方裁判所は、簡易裁判所の専属管轄に属する失火罪、過失致死傷罪に当る事実認定をしながら、刑訴法三二九条による管轄違の判決をすることなく、被告人を罰金二〇万円に処する旨の実体判決をしたものであり、右の措置は刑訴法三七八条一号にいう「不法に管轄を認めた」ものに当るものであるから、この点の論旨は理由があり、原判決は、この点において破棄を免れない。

二、検察官の控訴趣意中、本件過失の内容及び程度について事実を誤認し重大な過失とは認められないとした原判決には、事実誤認の結果刑法一一七条の二、二一一条に規定する重大な過失に関する法令の解釈適用を誤った違法がある旨の主張について。

所論に鑑み検討してみると、原判決は「争点についての判断」「三重過失の成否」の項中において「客観的には、完全に消火していないストーブの傍で本件で被告人がしたような給油作業を行っても、引火の危険性が高いとはいえず、……灯油を溢れさせたこと自体は直接の出火原因ではなく、出火の結果に対する関係では、右の落ち度は過失として評価することさえできないものである。」とし、「問題となるのは判示のように本件ストーブが完全に消火し、危険のない程度まで冷却してなく、しかも前方床面に灯油がこぼれている状況のもとで被告人が急激にサイフォンのホースを引き抜いたことだけであるが、……本件タンクから灯油が溢れたのに気付き、サイフォンのホースを引き抜いた時までには、ストーブのつまみを消火にしてからかなり(おそらく三分近く)の時間が経過していたと認められることを考えあわせると、右ホースの引き抜きによって本件のような引火の危険性があることを瞬間的に予見することは通常人にとって必ずしも容易であるとはいえず、また右引き抜き行為自体も狼狽の余りのとっさの行為であって、客観的には全く無用の行為であったとはいえ、これを深くとがめることはできないというべきである。そうであれば、本件における被告人の過失を『故意に準ずる』ほどの重大な過失であると断ずることは困難である。」と判示している。

検察官の所論は、「火気の残っている石油ストーブの直近で給油行為」のことを「①の給油行為」、「タンクから灯油を床面に溢出させた行為」のことを「②の灯油を溢出させた行為」、「電動式サイフォンの急激な引き抜き行為」のことを「③のサイフォン引き抜き行為」と略称したうえ、「現に本件火災は、①の給油行為及び②の灯油を溢出させた行為に③のサイフォン引き抜き行為が加わって発生したものである。従って、右の①の給油行為及び②の灯油を溢出させた行為と本件出火との間には、単なる条件関係にとどまらず、いわゆる相当因果関係が存することは明らか」であるとして、右の②の行為が「直接の出火原因ではなく、出火の結果に対する関係では、右の落ち度は過失として評価することはできない」としている原判決の判断には明白な事実誤認ないし、法令の解釈適用の誤りがあるという。

よって、原審記録並びに原審及び当審取調べの各証拠を検討してみると、(イ)、右③のサイフォンの引き抜き行為によりそのホース内に残留していた灯油が付近にまきちらかされたとしても、消火直後でいまだ火気の残っていた本件石油ストーブが存在していない限り、まきちらかされた灯油に着火することはないこと、(ロ)、右ストーブの燃焼筒に振りかかった灯油に着火し、炎上したとしても、その灯油の量は約五〇ミリリットル乃至九〇ミリリットル以下のものであって、かつストーブの燃焼筒の上部には天板が設けられているのであるから、右の焔が天井に着火する程高く吹きあがるかどうかについては疑問の余地があること、(ハ)、まきちらされた灯油はストーブの燃焼筒のみならず、下面反射板部分にも振りかかるのであり、また燃焼筒内に入った灯油の量が多ければ反射板上に溢出するのであって、そのいずれの場合においても着火した状況となるが、これまた上部の天板があるので焔が天井に着火する程高く吹きあがるかについては、疑問の余地があること、(ニ)、本件ストーブに振りかかった灯油の量の如何によっては、反射板上に溢出着火した状態のまま灯油が器具外に流出する可能性があること、(ホ)、本件ストーブには金属製置台がついているから、着火した状態のまま灯油が反射板上より流出しても、ひとまず置台に滴下して燃焼することになるが、②の溢出した灯油が右置台下面に接してモルタル製の床面に横約一メートル、縦約七〇センチメートルの惰円状に広がっており、右溢出灯油は前記置皿及びストーブ上で燃焼する灯油の熱により加熱されてその表面温度が六〇度以上になれば気化して引火し、(これが床上に溢出した灯油に着火したことの唯一の可能な過程である。)急速に着火面積を広げ遂には②により溢出していた灯油全面に及び、そのまま放置すれば溢出していた灯油の量(これは確定されていない)いかんによっては、その火勢により、本件建物に着火する可能性が考えられること、(ヘ)、②により溢出した灯油がなかったとすれば、五〇乃至九〇ミリリットルの灯油が本件石油ストーブの燃焼皿、下面反射板、置台付近で一時的に焔をあげ燃焼するにとどまり、大事に至らなかったのではないかとの疑問の余地があることが認められる。

以上指摘の諸点にかんがみれば、燃焼中の本件石油ストーブのつまみを消火位置へ廻したのみで、従っていまだ消火の完了しない段階において、その直近場所で給油作業を電動サイフォンに委ね、自らはその場を離れて注視を怠ることは、即ち灯油溢出の客観的なおそれを招くことに外ならず、かつ、ひとたび灯油溢出の事態にいたるときには、対処にとまどい、とっさに取り敢えずサイフォンを差込口から引き抜くという事態とひいて残留灯油の撒布という事態を招きかねないことは、通常ありふれた因果の発展であると認められ、しかる以上被告人としてもかかる因果の帰着としての燃焼筒出火並びに溢出灯油への転火炎上の可能性についてこれを予見すべき義務を負うものであったという外はない。かつはまた、被告人の残火のあるストーブ間近における給油の開始から、不用意な灯油の床面への溢出、サイフォンの急激な引き抜きにいたる一連の容態は、一貫した被告人自身の挙動乃至態度であって、これを自然的に観察した場合に、社会通念上一個のものというべきものであるから、その注意義務違反の有無、従って過失の有無程度は、右の全体を不可分のものとして判定されなければならないものである。従って、③の行為のみを本件結果に対する帰因事由と評価し、①②の所為が出火の結果に対する関係では過失と評価することはできないとしている原判決の判断には、事実を誤認したか、若しくは、法令の解釈適用を誤った違法のある疑いがある。

そうなると、上叙説示の事実関係のもとでは、被告人の本件所為は、前記床面への溢出灯油の量如何によっては重大な過失に当る余地のあるものといわなければならない。しかるに、前引用の理由づけにより、これを重大な過失に当らないとした原判決には、当裁判所が疑問の余地があると指摘した点及び床上に溢出していた灯油の量とその燃焼火勢についての審理を尽くさなかった結果、事実を誤認し、ひいては、重大な過失に関する法令の適用を誤った疑いがあり、この点の審理を尽くすことにより、被告人の過失の有無程度が判然とするものであるから、この誤りの疑いは判決に影響を及ぼすことは明らかであり、この点の論旨も理由がある。

従って、検察官及び弁護人のその余の論旨につき判断を加えるまでもなく、原判決はこの点でも破棄を免れない。

三、よって、刑訴法三九七条(三七八条一号、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、更に審理を尽くさせるため、同法四〇〇条本文により、本件を東京地方裁判所に差戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木梨節夫 裁判官 時國康夫 柴田孝夫)

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